李氏朝鮮はユダヤ人が支配していた暗黒の王朝で、儒教は悪魔崇拝だった。

今回は、「李氏朝鮮」についてです。
RAPT理論では、田布施一味とは「李家」で、さらにその正体が「ユダヤ人」だったと暴かれました。
明治維新で天皇の座に就いた「大室寅之祐」も首相の「伊藤博文」も、「安倍晋三」も「麻生太郎」も皆「田布施一味」、「李家」です。
では、彼ら「李家」が実権を握っていた「李氏朝鮮」とはどのような世界だったのでしょうか?
安倍は憲法改正を声高に主張していますが、もしそれが実現して、「明治憲法」が復活して「李家」が復権すると、どのような世界がやってくるのでしょうか。
「李氏朝鮮」の実態を見れば、それはわかります。
「李氏朝鮮」の建国者は「李成桂」でした。「李家」ですね。
また、「李成桂」の母親は懿恵王后(うぃへおうこう)ですが、元の姓は「趙」です。しかも、中国の「山東半島」に住んでいました。
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懿恵王后崔氏(うぃへおうこう、의혜왕후、生没年不詳)は、李氏朝鮮の初代王李成桂の生母である。李成桂の父・李子春の正室。本貫は永興。もともとの姓は趙であり、懿恵王后の父の名前は趙祚(조조)だったが、
もともとは、中国山東半島登州人だったが、咸鏡道に移住して暮らしていた。
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ご覧の通り、山東半島は「客家」の拠点だった「中原」の近くです。


しかも、「山東半島」の遺跡からは、「中央アジア」からやってきた人たちの遺骨が発見されています。
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山東半島付近の遺跡からはアーリア人や中央アジアの遺伝子を持つ人骨が発見されており、
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「中国にやってきたユダヤ人」の中には「李」と「趙」と名乗った一族がいました。
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明代(1368年-1644年)には、ユダヤ人は皇帝から 艾、石、高、金、李、張、趙 の7つの姓を授けられ、これらは今日でも見識することが出来る。
これらの姓は本来のユダヤ人の氏族の姓 Ezra, Shimon, Cohen, Gilbert, Levy, Joshua, Jonathan をそれぞれ中国風にしたものであるという。
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李氏朝鮮では様々な悪魔的な風習が行われていました。
「試し腹」なる鬼畜な慣習が平然とまかり通っていたそうです。父親が娘を嫁に出す際に、「子供を産める状態であること」を証明するために、あらかじめ父親が妊娠させていたとか。
李氏朝鮮時代には「試し腹」という、父親が実の娘を孕ませるおぞましい風習がありました。https://t.co/AtJqXQDsfs
— Muhi-Muhi (@MuhiMuhi20) May 17, 2019
イルミナティの「闇のマザー」の儀式と内容が似ており、現代でも行われているようです。
韓国のおぞましい習慣は李家が原因!
「李家=イルミナティ」https://t.co/9lZw6dsPbI pic.twitter.com/FQvyhRA3F8
また、「指詰め供養」といって、親の病気を治すために、指を切ってその血を飲ませていました。
「李氏朝鮮の悪習」として、
— Muhi-Muhi (@MuhiMuhi20) June 14, 2019
◇大便をなめる。
◇指を詰めて、その血を親に飲ませる。
(指を煮込んで飲ませる場合も)
◇内腿の肉を削いで、親に食べさせる。https://t.co/KMhzZqqcTK
という行為が有名です。
これらの悪習を続けてきた一族の子孫が、「安倍晋三」です。https://t.co/MNDLqMDsCf pic.twitter.com/wykA4gJdAI
嘗糞といって、大便をなめて病気の良し悪しを判断する習慣もあったそうですね。味が甘ければ病気は悪化しており、味が苦ければ良くなっていると信じられていたそうです。
さらには、「割股供養」といって、内腿の肉をそぎ落として親に食べさせていた、との話も伝わっています。
で、これらの悪習に共通するのは「儒教」から来ている点です。
儒教では「親孝行」が非常に重要視されていて、それが曲解された結果、このようなおかしな風習が蔓延した、とされています。
この言い方はまるで「儒教」が始めは正しい宗教だった、とも捉えられますが、それは間違いです。
もともと、「儒教」は悪魔教でした。最初から「儒教」にはおぞましい教えが含まれていて、それが李氏朝鮮に伝わったと考えた方が自然です。
先日の「KAWATAとNANAのRAPT理論」で、「儒教」は「ユダヤ教」から来ていると暴かれました。
儒教の創始者は「孔子」でした。彼は「ユダヤ人」だったと伝えられています。「Jew」は「ジュ」で、これが「儒教」となったとRAPTさんはおっしゃっておられました。
他にも、孔子廟は「ソロモン神殿」や「ユダヤ教のシナゴーグ」と同じように「東向き」に建てられていました。
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前五百年頃、日本では聖人とされている儒教の孔子は、2m30cmもの長身だったという。一般に仏教の寺門は南を向いている。
しかし孔子寺は、ソロモン宮殿、エジプトのピラミッド同様、太陽の登る東向きなのです。正当なシナゴーグはすべて東向きです。1663年清真寺の再建記念石碑では、ユダヤ教と孔子の儒教が、同一だと主張しています。
儒教のジュはユダヤを指す。つまり、孔子は当時中国内にあったユダヤ教を、儒教としてまとめて編纂した。しかし、孔子の儒教は、血族最優先です。
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李氏朝鮮では「両班」が特権階級に居座り、社会の発展を妨げていました。
一般庶民が商業でお金儲けをして、力をつけるのを恐れて、様々な嫌がらせを行っていたそうです。まさに今の日本と一緒ですね。「上級国民」も下級国民を奴隷にしようと行動しています。
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両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとくふるまっている。大両班は、金がなくなると、使いの者をおくって商人や農民を捕らえさせる。
その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまで笞打たれる。
両班のなかで最も正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。
なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつて無いからである。彼らが農民から田畑や家を買うときも、ほとんどの場合、支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない。
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では、なぜここまで「両班」は悪質な支配階級として庶民からひたすら搾取を繰り返していたのでしょうか?
実は、その根本的な原因も、「儒教」にあります。李氏朝鮮ができる二百年ほど前に、朱熹が現れました。彼は儒教の教理を「朱子学」に発展させました。
当時の中国の人たちに合わせて、新しい教えを生み出したわけです。で、朱熹も「客家」でユダヤ人でした。
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客家は海外も含めた総人口が1億2千万人というから、日本の人口に匹敵する大勢力である。歴史上、思想家、革命家、政治家に客家出身者がいる。
朱子(朱子学)、文天祥(南宋末の愛国者)、王陽明(陽明学)、洪秀全(太平天国の指導者)、そして近現代では孫文(辛亥革命の父)や鄧小平(改革開放の旗手)、またリー・クワンユ(李光耀 シンガポールの元首相)、李登輝(台湾の元総統)など、錚々たる人物を輩出している。
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「ユダヤ人」の孔子が「儒教」を立ち上げて、ユダヤ人の朱熹がそれを「朱子学」にまで発展させました。
それが李氏朝鮮にまで伝わった、と言えます。李氏朝鮮を建国した「李家」もユダヤ人ですから、完全にユダヤ人が庶民を支配するためにこの朱子学を使ったとみても差し支えありません。
李氏朝鮮ではこの「朱子学」が大流行していました。で、それを広めた張本人もこれまた「李家」でした。
「李退渓」と「李栗谷」は、朱子学を当時の上級国民、両班に教え込んでいます。
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李 滉(り こう / イ ファン、ユリウス暦1502年1月3日(大統暦弘治14年11月25日) – ユリウス暦1571年1月3日(大統暦隆慶4年12月8日))は李氏朝鮮の儒学者。字は景浩(キョンホ)。
号は退渓、陶翁、清涼山人、真宝人。李珥(栗谷)と並んで、朝鮮朱子学における二大儒と称される。
1560年には郷里に隠棲し、「陶山書院」を開き、儒教の研究と後進の育成に力を注いだ。「陶山書院」は王から扁額を賜った賜額書院として朝鮮の儒教の興隆のさきがけとなる。
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李 珥(り・じ、イ・イ、1536年 – 1584年)は、李氏朝鮮の儒学者。号は栗谷(りっこく、ユㇽゴㇰ)、字は叔献(しゅくけん、スコㇴ)。朱子学者として李滉(退渓)とならぶ二大儒と称される。
李滉の主理説に対し主気説を展開した。朝鮮王朝に仕えていたが、政争や貧困が蔓延して国防が疎かになっている国内の様相を憂いていた事でも知られている。大韓民国では5000ウォンの紙幣の肖像画である。
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両班は一切自分で働かず、奴隷たちをこき使って遊び惚けて暮らしていました。以下のようなエピソードまで伝わっているほどです。
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孟子の教えに、「頭脳労働の人は人を治め、肉体労働の人は他人に治められる」というものがあります。統治者と被統治者の階級地位を厳格に区別し、封建統治者の長期的な利益を維持しようとしていた意図のようですが、これにより「体を動かす仕事は卑しいもの」という思想が儒教文化圏では定着しているようです(中国や韓国など)。
こうした精神構造を如実に示すエピソード。
両班(朝鮮の貴族階級)の外国人家庭教師がテニスを教えようと、テニスコートを作りルールの手ほどきをした。しばらくして家を訪ねると、召使い2人がボールを打ち合い、両班本人はそれを眺めている。不思議に思って家庭教師が聞いてみると両班は言った「汗をかく事は召使いにやらせているのだ」と。
日本にも儒教思想はある程度伝わっているはずだが、「額に汗して働く」ことが卑しいという感覚はない。この違いはどこから来るのだろう。
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つまり、「労働を忌み嫌う」という思想も、儒教に端を発している訳です。
で、このように怠惰になって働きもせず、人をこき使う様子は、明らかに聖書に対する反逆です。
新約聖書の中で、イエスキリストは「ファリサイ派」と呼ばれる当時の支配層の人たちが、庶民を虐げていることを非難しています。
「マタイによる福音書」第23章4節より
「彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩にのせるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。」
また、使徒パウロは「働きたくないものは、食べてはいけない」と説いています。
「テサロニケの信徒への第二の手紙」第3章10節より
「働きたくないものは、食べてはならない。」
李家、ユダヤ人たちはこれらの聖書の言葉に反逆するような教えを作り、両班たちに広めたり、様々な悪魔的な慣習を蔓延させていた訳です。
本当に悪質な人たちだ、と言うしかありません。
憲法改正で李家・天皇家の権力が復活したら、この日本は「李氏朝鮮」のような暗黒の時代を迎えることも、想像に難くありません。