神道は「悪魔崇拝」であり、生みの親は「ユダヤ人」だった。

神道は「悪魔崇拝」であり、生みの親は「ユダヤ人」だった。

今回は、「日本神道」についてです。

皆さんは、神道についてどのようなイメージを抱いていますでしょうか。

単に習慣として、初詣や合格祈願、お祭りのときにお参りに行くだけ。あるいはパワースポット巡りが好きで、数多くの神社に足を運んでいる、という方もいらっしゃるかと思います。

そのような私たち日本人に身近な「神道」が、実は「悪魔崇拝」だったとすれば、どう思いますか。

いやいや、そんなワケがないだろう。神道は日本人の心のよりどころだし、普通に神様を拝んでいる宗教だ。

しかし、ちょっと待ってください。神道にはどう考えても「単なる普通の宗教ではない」側面があります。

現実に神道の中には「生贄儀式」があります。神道には「人身御供」と言って、人間を犠牲にする風習があります。

例えば、「白羽の矢が立つ」ということわざの由来が「神社の人身御供」だとされています。

———————————こちらから転載

日本では、人身御供のために犠牲となった人間のことをよく「人柱」といい、「白羽の矢が立つ」ということばは、この人柱を差し出す家に白い羽がついた矢が刺さったことに由来しています。

無論この矢は人為的に立てられたものではあるわけであり、匿名の誰かによる指名行為であった訳なのですが、この匿名者とはいうまでもなく時の権力者たちだったことでしょう。

しかし何も知らないこの当時の人々はこれが「神意」によるものだと信じ、この矢が家屋に刺さった家では、所定の年齢にある家族を人身御供に差し出さなければならないという風習になっていきました。

なぜ白い羽なのかはよくわかりませんが、「白」は古来から神聖な色であり、白羽の矢は何等かの霊的な存在が目印として矢を送ったのだ、と考えられたわけです。

近江国伊香郡(現滋賀県長浜付近)には、水神に対して美しい娘の生贄を奉るという風習がかつてあり、当地では生贄となる娘は必ず片目が選ばれたそうです。柳田國男の「日本の伝説」によれば、神が二つ目を待った者より一つ目を好んだからだそうで、一つ目の方が神と一段親しくなれたのだそうです。

生贄としては、人ではなく、動物が捧げられることもあったようですが、例えば神の贄として魚が選ばれたときには、これをわざと片目にするということなども行われていました。

実は静岡には、人身御供や人柱の伝説が多いのだそうです。その例としては、富士吉原市の三股淵、浮島沼の人身御供や磐田市の見附天神の人身御供などがあって、これらの生贄伝説は学者たちの間でも結構有名なのだとか。(註:詳しくはこちら)

1967年に発行された富士吉原市の広報誌には、この三股淵の人身御供について触れられており、それによると、この三股淵の付近では毎年6月28日に祭りを行いますが、かつては12年に一度、通常の祭りとは別に人身御供を伴うお祭りをやっていたそうで。これは大蛇の怒りを鎮め大難を防ぐための祭りだったといいます。

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また、神社の構造は「女性の体」をモデルにしているとまことしやかに囁かれています。

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神社というのは女の人の体を表しています。

鳥居は、女性が足を開いて立っている姿です。

ですから、神社の参道は、お産の時の産道を現します。

女性の体には、子宮があり、お宮は子宮で、お神輿が精子だそうです。

だから、神社の事を、お宮と言うのだそうです。

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神社の「しめ縄」にも、性的な意味が隠されていました。

———————————こちらから転載

さらに、ある読者の方から寄せられた情報によると、神社にある「しめ縄」にも何やらいかがわしい意味が隠されているようです。

----------------(以下、注連縄)より転載)

学習院女子短期大学講師 吉野裕子氏によると注連縄の形は『蛇の交尾』を擬したものだと云う。

氏は著書『蛇 日本の蛇信仰』(講談社学術文庫)で、蛇の形体・生態から各地の信仰・風習を説き、蛇信仰が如何に日本人のなかに浸透しているかを述べている。 以下にその一部を紹介します。

日本の蛇信仰は縄文時代の昔より引き継がれており、縄文人が蛇に寄せた思いの源は

蛇の形体が男根を思わせること

蝮などの強烈な生命力と、その毒で敵を一撃のもとに倒す強さ

脱皮により生まれ清まる再生力

性に対する憧れ、崇拝、畏怖、歓喜、それらが凝集して神与のものと考えられ、その象徴が『蛇』として捉えられた。

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神道の有名な神といえば「スサノオ」、「アマテラス」です。

RAPT理論では、実は彼らの正体が「バアル」、「アシェラ」だと暴かれました。

スサノオとバアル、天照とアシェラの特徴があまりにも似ています。

「バアル」は元々メソポタミアのあたりで信じられていた神で、旧約聖書の著者からは忌み嫌われていました。バアルは「ベルゼブブ」と呼ばれる悪魔でもありました。

———————————こちらから転載

結論から言うと、「ベルゼビュート(ベルゼブブ)」ということになります。その理由をご説明しましょう。

○ベルゼブブ – Wikipedia

先ず、「サナト・クマーラ」は「スサノオ」と同一視されていますが、「スサノオ」はかねてからシュメール話の神「バアル」と同じであると言われてきました。その姿形が同じであり、やることなすことも全く同じだからです。

----------------(以下、こちらから転載)

■日本の神話 = 素盞嗚尊(スサノオ)の別名は牛頭天王と呼ばれ、同じように牛の角を生やしている。素盞嗚尊(スサノオ)が人身御供で人間を食らう、頭が八つもあるヤマタオロチに酒を飲ませて酔わせてから退治する。その時にオロチの尻尾から、鉄の剣(草薙の剣)を手に入れる。        
                      
■シュメール神話 = 古代シュメールの伝える神の一つ、バール神は牛の角を生やしており、天候(暴風雨)の神といわれていた。太古シュメールの神話には、ヒッタイトの守護神である、7つの頭を持つ龍が人間を生け贄としていた。そこでバール神が、龍を酒に酔わせて退治する。すると龍の中から、ヒッタイトの鉄を手に入れる。

----------------(転載ここまで)

で、旧約聖書を読んだ方ならば、「バアル」という名前は何度も目にしたはずでず。旧約聖書には「バアル」という名前が100回以上も登場しますからね。

旧約聖書の時代(つまり紀元前)、イスラエル民族はみんな神様「ヤハウェ」を拝んでいましたが、イスラエルの周辺地域に住んでいた別の民族たちは「バアル」という神様を拝んでいました。

それだけ「バアル信仰」が当時のメソポタミア地域に広く浸透していたということです。

では、この「バアル」が何者なのかといえば、上の表に出てくる「ベルゼビュート(ベルゼブブ)」のことなのです。

----------------(以下、ウィキペディアより転載)

バアルは旧約聖書の著者達から嫌われており、もともと「バアル・ゼブル」(崇高なるバアル)と呼ばれていたのを「バアル・ゼブブ」(蝿のバアル)と呼んで嘲笑した。

この呼称が定着し、後世にはベールゼブブと呼ばれる悪魔の1柱に位置づけられている。

----------------(転載ここまで)

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そんな神でも何でもない「悪魔」が、実は日本各地の神社で拝まれているのです。

また、神道では「天照」も信仰の対象となっています。天照も、旧約聖書に登場する「アシュトレト(アシェラ)」が単に名前を変えただけの存在だと暴かれました。

———————————こちらから転載

では、「天照大神」が「ルシファー」なのでしょうか。

私もずっとそう思っていましたが、この記事を見た限りでは、どうもそうではなさそうです。

というのも、この記事の中に「バアルはアシュタロテの配偶神」とありますが、「アシュタロテ」とは上の悪魔の表に出てくる「アスタロト」のことです。

で、この「アスタロト」は女神です。

----------------(以下、こちらより転載)

■アスタロトの起源

悪魔アスタロトの源流は旧約聖書「士師記」「列王記」などに登場する女神アシュトレトとされる。

「士師記」の冒頭で、カナンに侵攻したイスラエルの民は時がたつごとに本来信仰すべきはずだったヤハウェを忘れ、現地のバアルやアシュトレト信仰に傾くようになりヤハウェの怒りを買い、民に災難をもたらす。

「列王記」では老いたソロモン王が外国出身の妻に誘われて異教の神アシュトレト、ミルコム、ケモシを信仰し、ヤハウェを怒らせて最終的に王国分裂に繋がる

アシュトレトはオリエント全域で崇拝された女神アスタルテであり、さらに遡ればメソポタミア神話のイシュタルにいきつくという。

イシュタルはウルクの豊穣神イナンナの信仰を核として、王権授与、王権を守る戦神と変遷し、ウルクが没落した後は“諸国の神”という都市国家の枠にはまらない破格の地位についている。

特に豊穣、戦神の神性は様々な王の信仰を獲得し、イシュタルは各都市国家の女神を吸収してオリエント世界における女神の普遍的名称として使われるようになった。

アスタルテはウガリット・カナンに起源をもつ女神だが、エジプトなどの外国に信仰が伝わるにつれ戦争の女神、王権の守護者というイシュタルに似通った神性を獲得し、シュメール・アッカドにおいて両者は習合、大いなる地母神としてギリシア・ローマにまでその勢力を拡大させている。

----------------(転載ここまで)

で、「日本書紀」と「古事記」の中に出てくる女神は「アマテラス」ですし、人によっては「スサノオ」と「アマテラス」が婚姻関係を結んだという説を唱えています。先日ご紹介した記事にもそう書かれてありましたね。

○出雲族と大和族の話(パート1) | 天の王朝 – 楽天ブログ

したがって、「バアルはアシュタロテの配偶神」という一文を、そっくりそのまま「スサノオはアマテラスの配偶神」と言い換えることができます。

ということは、「アマテラス」は「アスタロト」と同一神ということになります。「ルシファー」ではないということです。

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では、この「バアル」と「アシェラ」という二匹の悪魔は、どのようにして「スサノオ」、「天照」と名前を変えて日本に浸透していったのでしょうか。

あるいは、「誰が」この「スサノオ」と「天照」を神とした「神道」を生み出して、広めたのでしょうか。

その犯人こそが、「ユダヤ人」です。

そもそも、「神道」は「道教の一派」で、「陶弘景」が生み出したと言われています。

———————————こちらから転載

5~6世紀の道教家の陶弘景が道教の一派「神道」の起源。

紫宮に住む天皇を仙の世界の長とし真人を高級官僚として「神道の道教」世界を構想。道教の剣と鏡=天皇大帝の象徴を重視。梁の武帝のブレーンで別名「山中宰相」。道教家の天武天皇や記紀に強く影響した日本思想の起源なのに無視される陶弘景。

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なんと、「令和」の原典「文選」の著者の師匠でもあったそうです。だとすれば、「令和」も「道教」の影響を少なからず受けていると言えますね。

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すなわち、古代中国の王家にも深く関わった人物であり、間違いなく日本にも彼の思想が最先端として伝わっているはずである。年を負う毎に名声が高まり王侯・貴族らの多くの名士が門弟となった。『文選』の編者として知られる昭明太子も教えを受けたひとりである。

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このように、「道教」は歴史を紐解く上で、非常に重要な宗教です。にも拘わらず、どうして詳しく教科書で習わないし、学者も伝えないのでしょうか。

言うまでもありません。これを作ったのが「李家」で「ユダヤ人」だからです。道教のことを詳しく教えると、李家の存在が明るみになってしまうのです。

故国を追われたユダヤ人は中国に行き着き、「道教」を立ち上げました。

道教の創設者は「老子」で、本名が「李耳」です。つまり、彼も「ユダヤ人」でした。

彼らはこの「道教」をうまく利用して、「スサノオ」を「バアル」に、「アシェラ」を「天照」に仕立て上げて、日本各地に布教してきたのです。

スサノオは、「牛頭天王」とも呼ばれています。牛頭天王が祀られている有名な神社と言えば「八坂神社」です。

この「八坂神社」に伝わる「祇園祭」は、明らかに悪魔崇拝でした。

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実はこの「祇園祭」。もともとは幼子たちを悪魔に生贄として捧げる「悪魔崇拝儀式」に他なりませんでした。

私もこのことはこれまで全く知りませんでしたが、つい先日、ある読者の方がこの情報を寄せてくださったので、私も「本当だろうか」と思って、ざっと簡単に調べてみました。

その結果、この情報が紛れもない事実であることがすぐに分かりました。

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祇園祭のそもそもの由来は平安時代に疫病が流行し、それを鎮めるために行われたのが始まりです。

当時は上下水道が完備されておらず、また京都は盆地であり内陸のため、湿度が高く、マラリアや天然痘、インフルエンザ等の疫病が流行り、大変な問題になっていたそうです。

(註:当時は、これらの災厄が「皇族」などの利権争いによって殺された者たちによる祟りだと考えられていました。)

当初は朝廷の命により執り行われましたが、室町時代になってからは、商工業者(町衆)の自治組織が中心となり行うようになり、今日まで続いています。

また特徴としては稚児を長刀鉾にのせ、神への生贄にして、稚児を長刀何人も殺して、疫病を鎮めようとしたことが分かっていいます。

現在山鉾の生身の稚児は1つのみで、他は人形ですが、当時はすべて生身の本物であったと考えられています。そう考えると本当は祇園祭というのは怖いですね。

(註:怖いどころじゃありません。)

当初はコンチキチンという祇園囃子はなく、江戸時代からついたそうです。祭りに参加する人はそのような事はまず知らないで参加していると思われます。

(註:知っていたら、誰もこんなお祭りに参加しないのではないでしょうか。)

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八坂神社は「秦氏」が建立しています。

で、「秦氏」の正体は「秦の始皇帝」の末裔で、ユダヤ人でした。

秦の始皇帝も「人身御供」を日常的に行っていた張本人です。

———————————こちらから転載

で、「秦の始皇帝」といえば、ひどく残虐非道な皇帝だった、ということで有名ですよね。

もっとも、ここ最近は「秦氏 = ロスチャイルド」が情報操作を行っているのか、「秦の始皇帝」の残虐ぶりを描いた映画や小説などは余り見かけなくなってしまいました。

なので、若い人たちはこの事実をほとんど誰も知らないかも知れません。

しかし、いくら情報統制しようとも、「秦の始皇帝」がとても残虐な皇帝で、人を人とも思っていなかったことは明らかな事実です。

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秦の始皇帝は13歳の時(紀元前246年)に秦王に即位し、陵墓の造営を開始した。

50歳で死んだときにはまだ完成しておらず、さらに2世皇帝が2年間かけて完成させた。

その大きさは東西・南北およそ350メートル、高さ53メートル(完成時の大きさは底部が485×515メートル、高さが87メートル)、一人の皇帝のために陵墓を造り始めてから完成するまで実に40年ほどかかる途方もない大工事だった。

陵墓の下には堅固な地下宮殿がつくられ、膨大な宝物が運びこまれた。

1974年に始皇帝陵から東へ1.5キロほどの場所から巨大な規模の副葬兵馬俑が発見された。

約8000体もある実物大の兵馬俑は陶器質でできており、その表情はまことに真に迫るものがあり、一つとして同じものはない。

その質と量には世界がびっくりさせられた。もし始皇帝陵が破壊や盗掘にあわなければ、その宝物は質・量ともに全世界を驚嘆せしめるものであることは間違いないはずだ。

一人の皇帝の陵墓造営のために多くの犠牲者がでた。陵墓の西南約1.4kmのところにある1020平方メートルの合葬墓地には一面に人骨が厚い層をなしている。

始皇帝はとてつもない大宮殿(阿房宮)の建設にも乗り出した。阿房宮は東西690メートル、南北115メートルの木造建築で、1万人が収容できたという。これは始皇帝の生前には完成せず、秦の滅亡後、項羽によって焼かれてしまった。

阿房宮と始皇帝陵の建設に70万人が動員され、さらに万里の長城建設に30万人が動員された。

始皇帝は自分の墓の造営に70万人も動員できたし、気に入らない人物を極刑にすることも思いのままだった。

韓非の思想が気に入ると、それ以外の思想書を全部焼く命令をだし、違反者を極刑にした。

流言をとばして民をまどわす学者がいるとして、460人あまりの学者を生き埋めにした。

万里の長城の建設という途方もない大規模な工事に農民大衆を動員することができた。

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秦氏は、その風習を脈々と受け継いでおり、日本にも広めて来た訳ですね。

始皇帝は道教を信じていました。道教の神仙思想に傾倒して、「不老不死」になろうと徐福を日本に派遣したのは有名な話です。

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山東半島のはるか東の海中に蓬莱山などの神仙境があり、そこには不老不死の仙薬があると信じられていた。秦の始皇帝も不老不死を願って仙薬を求め、徐福を蓬莱山に派遣した。

徐福は数千人の童男童女をつれて、蓬莱山に向かったという。この徐福の目指した蓬莱山とは日本のことで、徐福が日本に来たという伝説が残っている。丹後半島の東南海岸(京都府)にある新井崎神社は、この徐福を祀る神社だという。

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始皇帝の末裔らしく、秦氏も「道教」の知識も持ち合わせていたと伝えられています。

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宇佐神の祭祀集団(秦氏)のこと

宇佐神の祭祀集団は中国・朝鮮とのつながりも持っていたらしく, 道教系(注:景教系と言うべきか)の医術をよくし,しばしば天皇の治療にも当たったという。

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だとすると、八坂神社」の「八」も、道教から取られたのではないのでしょうか。

道教では「八」は「全世界」を意味する数で、重要視されていました。

しかも、「スサノオ」は「牛頭天王」とも呼ばれていました。牛頭天王はもともと「道教」の神だったそうです。

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京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。また陰陽道では天道神と同一視された。

道教的色彩の強い神だが、

(中略)

また、同じ牛頭の武神であり、秦氏が日本に伝えたとする道教の兵主神=蚩尤と関連するとの説もある。

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「八角思想」でも書いたように、生前に善を積んだ人は、南方の朱宮で特訓を受け東方の東華宮に遊ぶという思想の原形が下敷きになっていることが忍ばれるという。

また、根の国にいたスサノオの頭髪にムカデがいたとあるが、これも道教教典「抱朴子」にある蛇をよける道教の呪術である。

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また、スサノオは「朝鮮半島」が起源だとされています。朝鮮に「ソシモリ」があって、そこから日本の出雲に降り立ったと伝えられています。で、この「ソシモリ」が「牛頭」を意味するとか。

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スサノオ(素戔嗚尊)が新羅の曽尸茂利/曽尸茂梨(ソシモリ)という地に高天原から追放されて降臨し、「ここにはいたくはない。」と言い残し、すぐに出雲の国に渡ったとの記述があるが、

この伝承に対して、「ソシモリ」は「ソシマリ」「ソモリ」ともいう朝鮮語で、牛頭または牛首を意味し、朝鮮半島の各地に牛頭山という名の山や牛頭の名の付いた島がある由と関連するという説がある。

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「秦氏」の中には、中国から「新羅」に移り住んできた人もいました。

つまり、「秦氏(ユダヤ人)」が「バアル」を中国で道教の「牛頭天王」に仕立て上げて、朝鮮を介して日本に持ち込んできた、ということです。

また、「天照大神」も明らかに「道教」が起源となっている節が見受けられます。

そもそも、この「天照大神」を考え出したのは「天武天皇」です。

———————————こちらから転載

それぞれの地元で祀られていた各地の神社・祭祀は保護と引き換えに国家の管理に服し、古代の国家神道が形成された。

その際、天武天皇は伊勢神宮を特別に重視し、この神社が日本の最高の神社とされる道筋をつけた。

(中略)

そもそも天照大神という神を造り出したのが天武天皇であるという説もある。

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天武天皇は「道教」の熱心な信者でした。

彼の墓所は「道教」の思想に基づいて作られていますし、戒名にも「道教」の用語が使用されています。

道教の信者だった「天武天皇」が「天照大神」の生みの親だったと捉えられますね。で、伊勢神宮も、なぜか「道教」から強い影響を受けています。

伊勢神宮の儀式で使用する「絹織物」が、道教の経典にも登場するそうです。

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『「皇太神宮儀式帳」(804)によると、社殿新築の際の用材や「心の御柱(しんのみはしら)」を伐採する前に行なう祭祀などに五色の薄絁(うすぎぬ)や金属製の人形(ひとがた)を使うとある。

道教教典の「抱朴子(ほうぼくし)」登渉篇によると「山中で五色の繒(きぬ)を大きく石の上に懸ければ、求むる所必ず得らる、すなわち願い事必ずかなう。」とあり、五色の薄絁(うすぎぬ)は、道教関係の儀式で盛んに使われている。

伊勢神宮の場合、この五色の薄絁(うすぎぬ)が「見ることはもちろん、語ってもいけない。」と言われる「心の御柱」を建てる際に重要な役割を果たしている。

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他にも、伊勢志摩で行われている「田植え祭り」で飾られる「忌竹」には、「太一」という文字があしらわれていました。この「太一」も「道教」の最高神を意味するそうです。

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神田の脇に、忌柱が立てられ、そこに巨大な二個のさしばのついた「忌竹(いみたけ)」と呼ばれるものが飾られる

その帆に大きく「太一」とある。「太一」とは言うまでもなく道教の最高神、天帝のことである。』

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また、天照の御神体である「八咫鏡」も「道教」由来です。「抱朴子」なる経典では鏡が神聖視されています。

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『抱朴子』には鏡に神仙が現れるとあります。鏡は一面二面四面と用いることがあり、日月鏡・四規といいました。四規は前後左右に置きます。この形式は随・唐鏡へつづき、唐鏡以後は八稜鏡・八花鏡などができます。

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そもそも「三種の神器」という発想自体も「道教」から生まれたとか。

———————————こちらから転載

伊勢神宮において鏡・剣・玉を三種の神器としています。三種の神器のうちに鏡・剣については、前述しましたように道教の影響がみられました。

中国では古来より鏡や剣を帝王権力のシンボルとします。

天上の神仙世界、死者の羅鄷(らほう)世界、それに現実の人間世界の三世界にわけてみるのが道教の教えで、生と死の世界を一体化させるために、死者の遺体のそばに鏡と剣を置きます。

唐代の道教の天師である司馬承禎の『含象剣鑑図』に、天上の帝王の権威と地上の帝王の権威をあらわすことをのべています。つまり、地上の帝王は天上の帝王の配下にあり、その委託によって地上を支配するとします。

天上の帝王の権威を象徴する鏡と剣は、どうじに地上の帝王の権力の象徴になるのです。また、道教の見地から陶弘景は『真誥』『刀剣録』に、鏡と剣は道士の修行に不可欠のものであり、宗教的な霊力をもつことを説いています。(福永光司著『道教と古代の天皇制』三〇頁)。

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日本神道もスサノオも天照も道教から生まれていたとなれば、神道でよく言われる「八百万の神」の意味も解けます。

実は、神々の数が「八百万」である理由ははっきりしていません。が、これも「道教」を隠すためのかく乱です。

道教では「八」は強大な力を持った数だと信じられており、「全世界」を表していました。つまり、「全世界に悪魔がはびこっているぞ」とほのめかすためにわざわざ「八百万」に合わせてきた、ということです。

なんとも幼稚な発想ですね(笑)

まあそれらすべてのインチキがこうして全部バレましたし、悪魔崇拝者、天皇家一族は今頃大慌てでしょう。

それこそ「上級国民」の仲間内でしか話していなかったようなことがRAPT理論の登場によって明るみに出た訳です。

本当に彼らはもう終わりかもしれません。

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