麻生太郎も田布施一味で、北朝鮮の「国家主席」だった。

今回は、「麻生太郎」が田布施一味であり、北朝鮮を支配していることについてお話ししています。
これまで、「安倍晋三」や「小泉純一郎」、「橋本龍太郎」は田布施一味で、「田布施システム」のおかげで政界の頂点の座を射止めたのだと、様々な陰謀論者が主張してきました。
しかし、その「田布施一味」のリストには「重要人物」の名前が欠けていました。
「麻生太郎」です。実は、彼もやはり「田布施一味」で、「満州人脈」とも密接な関係を持っていることがわかってきましたので、それについて詳しく解説します。
山口県と鹿児島県の両方に同じ「田布施村」があって、なぜかそこから多くの首相が輩出されています。これが田布施システムです。
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同じ名前を冠した被差別部落がなぜかたまたま鹿児島と山口県にあり、この二つの「田布施町」が結束してクーデターを起こした、というわけなのです。
そしてさらに、なぜかこの二つの「田布施町」から、その後、次々と政治的有力者が現れることになります。例えば……。
山口県の田布施町出身者には、伊藤博文、 幸木戸一、 宮本顕治、 河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣。岸信介、佐藤栄作、安倍晋三も、この田布施一味の末裔。
鹿児島の県田布施町出身者には、東郷茂徳という終戦時の外相がいます。しかも、驚くなかれ、小泉純一郎の父・小泉純也もこの町の出身です。
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そもそも、この田布施システムの始まりは「明治維新」にまで遡ります。
長州と薩摩藩の同じ「田布施村」にいた朝鮮人たちが、タッグを組んで明治維新を起こして、田布施出身の「大室寅之祐」が「明治天皇」になった、という話です。
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実はこの話には「明治天皇すり替え説」なるものが加わります。山口県田布施町に「大室寅之祐」という男がいて、この男が後に本物の明治天皇とすり替わったと言われているのです。
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「大室寅之祐」は「李家」でした。

田布施には「岸作蔵」という海賊上がりの男がいました。彼は田布施の「地家」家に養子に入って、「地家作蔵」と名を変えます。
彼と「谷口スヘ」が結婚して、「地家寅之祐」が生まれました。彼こそが後の「大室寅之祐」です。
この後、スヘと作蔵は離婚して、スヘが「寅之祐」を引き取ります。で、スヘは「大室弥兵衛」と結婚して、名字が「地家」から「大室」になりました。
この「大室弥兵衛」は、いわゆるバツ一で、スヘと再婚する前は「ハナ」と結婚していました。
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海賊某の息子作蔵(岸(ガン)作蔵が…(中略)…地家吉左衛門家(1840年3月12日没)の養子となり「地家」姓を賜る。
地家作蔵(生年月日は不明(1825年生まれか?)~1887年4月24日) と興正寺基子(SUEKO)=スヘ(1831年5月1日~1855年11月20日)が1844年頃結婚する。
1850年1月10日(戸籍では庄吉の誕生日になっている)に戸籍名寅吉(普段使う通名は虎吉。後の大室寅之祐の明治天皇)をスヘの実家の西円寺にて出産。
1854年に作蔵とスヘが離婚。長男寅吉、次男庄吉をスヘが引き取り、多分西円寺の実家?へ戻る。
大室弥兵衛とスヘ再婚。 スヘは大室弥兵衛の2号となる。(弥兵衛の本妻は前に書いたとおり大室文右衛門の娘ハナ) 地家寅吉は大室寅吉(後の大室寅之祐明治天皇)に。
大室弥兵衛(1813年6月14日~1886年3月3日)が満24歳の時2代目(息子)大室文右衛門の娘ハナ(1815年12月5日~1903年2月1日) と1837年結婚し
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この「岸」という苗字は「李」と同じだと明らかになりました。したがって、明治天皇は紛れもない朝鮮人、李家だったとわかります。
で、なんとこの「大室弥兵衛」と「ハナ」の娘が、「吉田茂の母親」にあたるらしいのです。
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母親は芸者だったらしいが大室弥兵衛とハナの間の娘とする説がある。竹内の投獄後に東京へ出て竹内の親友、吉田健三の庇護のもとで茂を生んだ
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ということは、「麻生太郎」も正真正銘「田布施一味」、「李家」だと言えます。
この「大室寅之祐」の子孫だと噂されている政治家が、他にもいました。
「橋本龍太郎」です。
彼は「大室寅之祐」の弟の孫でした。つまり、彼も「李家」になります。

「麻生太郎」と「橋本龍太郎」も、非常に近い親戚です。
これは、彼らが同じ「田布施」一味だったからだと考えるとすっきりします。

また、橋本龍太郎が首相だったときに麻生太郎は「初入閣」を果たしています。
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1996年には第2次橋本内閣の経済企画庁長官に就任し、初入閣。
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麻生太郎は同じ「田布施出身」のよしみで、内閣に入れてもらえたのかもしれません。
また、麻生太郎は北朝鮮の裏のトップという顔も持っています。
「北朝鮮」のトップは「金正恩」でしたが、彼も李家でした。
「金正恩」の母親は「横田めぐみ」で、「李成桂」の末裔にあたります。
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この李家が支配する「北朝鮮」に、麻生太郎の関連企業が進出しています。
北朝鮮の通信事業を経営しているのはエジプトの「オラスコム・テレコム」です。で、「オラスコム」は「ラファージュ」の子会社でした。
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通信インフラを担ったのはエジプトの建設大手、オラスコムグループ傘下にあるオラスコム・テレコム社だった。オラスコムは約4億ドルを投資し、今後25年間、北朝鮮国内で携帯事業を手がけるという。
オラスコムはまた、金正日総書記が名誉支配人を務める北朝鮮屈指のセメント企業、サンウォンセメントにも1億1500万ドルを出資し、生産に着手している。
実はこのオラスコムは、世界トップのセメントメジャーである仏ラファージュの100%子会社。ラファージュには鉱山開発大手の仏イメリスが関連会社を通じて大口の出資をしている。つまり、エジプトの企業経由で、フランスの大企業が北朝鮮へ多額の投資をしているという構図だ。
(中略)
ただ、日本勢にも対北進出のとっかかりを確保した企業がないわけではない。首相の実弟が社長を務める麻生セメントだ。前出のラファージュと資本提携(出資比率は麻生60%、ラファージュ40%)し、04年には麻生ラファージュセメントと社名まで変更している。
つまり、麻生セメントはラファージュを通じ、北朝鮮のサンウォンセメントと共通の利害関係にあるわけだ。
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オラスコムは北朝鮮の「柳京ホテル」に出資しています。その工事現場には「麻生セメント」の紙袋が捨てられていたそうです。

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未完工状態で放置されてきた柳京ホテルに2008年4月、エジプトのオラスコム・グループが2億1500万ドルを投入、中断された工事がようやく再開の運びとなった。
さらにUAEのエマール(Emaar Properties)がホテルを精密分析し、何の異常もないことが明らかになったため、柳京ホテルの外壁をガラス張りにする工事に着工。
今年2010年8月に外壁工事が無事完工した。
オラスコム、エマールのほかフランスのラファージュ社もまた同ホテルに投資。
工事現場に「麻生セメント」の紙袋が捨てられているのはそのためだ。
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さらに、北朝鮮の「ミサイル製造」にも、麻生太郎が関与しています。

北朝鮮にミサイルの技術を流したのはイスラエルの「アイゼンベルグ社」です。
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スーステルが営業網拡大に尽力したアイゼンベルグ社の核兵器部門は、他国の核兵器開発と原子力発電所建設に資金融資する専門銀行ABT(アメリカン・バンク&トラスト)を創立する。
このABTが1988年のパキスタンの核武装に際し、資金を供与し、このパキスタンから北朝鮮に核ミサイル技術が「流された」。
北朝鮮は核兵器開発に際し、その資金の一部をABTから「融資」されている。
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アイゼンベルグ社の出資元は「ランバート銀行」で、この投資会社は「ラファージュ」の親会社にもあたります。
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北朝鮮の核兵器を作る、イスラエルのアイゼンベルグ社。
その出資元であるランベール銀行。
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グループ・ブリュッセル・ランバート(Groupe Bruxelles Lambert、GBL)はベルギーの投資会社。GBL のルーツはランベール家にある。GBL のレオン・ランベールはパリ・ロチルド家 ギュスターヴのひ孫にあたる。
2008年12月31日時点でGBL は以下の企業に資本参加している。
企業名 保有割合 議決権行使割合
イベルドローラ 0.6% 0.6%
GDFスエズ 5.3% 5.3%
Imerys 30.5% 37.0%
スエズ・エンバイロメント 7.1% 7.1%
トタル 4.0% 3.6%
ペルノ・リカール 8.2% 7.4%
ラファージュ 21.1% 28.5%
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先ほど「ラファージュ」は麻生セメントにも出資しており、麻生太郎とも繋がっていると申し上げました。
つまり、「北朝鮮のミサイル製造」の裏でも麻生太郎が暗躍していた可能性が濃厚です。
アイゼンベルグ社と「麻生太郎」の繋がりは、「吉田茂」のときにさかのぼります。
アイゼンベルグ社は満州でアヘンの密売を里見甫と行っており、それに吉田も加担していたのです。
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その背後には、サスーンを中国アヘン市場から追い出し、次の世代の中国アヘン市場を狙うアイゼンベルグ社(後にイスラエル建国の中心となる)と里見との提携があった。
この昭和通商で、里見甫の部下として「金儲け」のため麻薬売買を担った人物達の中に、右翼の大物、児玉誉士夫、そして岸信介、佐藤栄作、池田勇人がいた。
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また、「金正恩」と麻生太郎にも奇妙な接点があります。
麻生家の菩提寺が「正恩寺」でした。「金正恩」と全く同じ名前のお寺です。
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しかも、実を言うと、「麻生太郎」は個人的にも「金正恩」と深いつながりがあります。
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麻生氏のお寺が「正恩寺」というのが面白い!
金正恩は最初、恩(雲)と書いておりましたが・・わざわざ恩(オン)としたのには・・・正恩寺に繋がる何らかの意味がこめられているのかもしれませんね。
日本人拉致は・・潜入工作員の育成と横田めぐみさんの血筋が目的だった可能性があります。
「つまり・・金正恩は日本にいる正恩寺の人に何らかのメッセージを贈った可能性が出てきます。」
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「麻生太郎」の菩提寺(帰依しているお寺)が、まさしく「金正恩」と同じ名前。
しかも、「麻生太郎」は「天皇家一族」の一人であり、「金正恩」も「天皇家一族」の一人。
これが単なる偶然であるはずがありません。
もしかしたら「天皇家一族」は、「麻生家」に対する敬意を込めて、北朝鮮のトップに「麻生家」の菩提寺と同じ名前を冠することにしたのではないでしょうか。
ここまで来ると、そうとしか考えられません。
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しかも、麻生太郎は「北朝鮮の生みの親」と繋がっています。
北朝鮮を建国したのは「畑中理」です。彼が金正日の本当の父親で、北朝鮮は日本人が作った国だと「KAWATAとNANAのRAPT理論」で暴かれました。
実は、この「畑中理」には兄弟がいます。
「笹川良一」です。彼と麻生太郎が密接に繋がっています。

こちらから転載

笹川良一は「文鮮明」の作った「統一教会」とズブズブです。
笹川は文鮮明が立ち上げた「国際勝共連合」の元名誉会長でした。
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「笹川良一」はかの「統一教会」の教祖「文鮮明」ともなぜか大の仲良しです。
というのも、彼は「文鮮明」が創設した「勝共連合」の名誉会長になっているからです。
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国際勝共連合(こくさいしょうきょうれんごう、International Federation for Victory over Communism、「共産主義に勝利するための国際連盟」)は反共主義の政治団体。
通称は「勝共連合」または「勝共」。
世界基督教統一神霊協会(統一教会)の教祖、文鮮明が1968年1月13日に韓国で、同年4月、日本で創設した。
日本の初代会長は「統一教会」の会長でもあった久保木修己。
名誉会長は笹川良一、顧問団に小川半次、大坪保雄、辻寛一、千葉三郎、玉置和郎、源田実らがいた。
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麻生太郎も「日韓トンネル研究会」の理事で、教団の機関紙に名刺広告を出していますね。
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麻生太郎(自民党):過去に教団機関紙の思想新聞に名刺広告を出している。警視庁の内部資料からは信者を秘書に起用していたことが発覚。2011年5月10日付の米紙ワシントン・タイムズには妻・千賀子と共に意見広告を載せた。日韓トンネル研究会では顧問を務める。
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笹川良一の本名は「文堯」で、朝鮮人だそうです。
こちらから転載

文鮮明も「北朝鮮」出身で、金日成とも兄弟分でした。

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日本では霊感商法や有名芸能人の「合同結婚式」などで社会問題化した統一教会だが、教祖の文氏は、もともと北朝鮮・平安北道(ピョンアンブクト)出身だ。
社会主義体制の北朝鮮とは、反共団体である国際勝共連合の活動などを通じて長年対立していたが、1991年に電撃的に訪朝。
当時の金日成主席と和解して以降、密接な関係を築いてきた。金正恩氏は文氏の死亡時と1周忌に際しても弔電を送っている。
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つまり、文鮮明と笹川良一は北朝鮮の関係者です。
麻生太郎が彼ら北朝鮮人脈と繋がっており、「金正恩」の名前が「麻生家の寺」から取られていた。
しかも、セメントを送ったり、ミサイル技術の資金提供もしていたとなれば、麻生太郎が実質的な北朝鮮のトップ、「国家主席」だと言っても差し支えないのではないのでしょうか。
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[…] 麻生太郎も田布施一味で、北朝鮮の「国家主席」だった。 […]
[…] 麻生太郎の祖父「吉田茂」の母親は先の家系図にある「大室弥兵衛」と「ハナ」の間の娘という説があります(こちら)。 […]