幸福の科学の教祖「大川隆法」も、ユダヤ人の末裔でした。

幸福の科学の教祖「大川隆法」も、ユダヤ人の末裔でした。

教祖と息子の訴訟合戦、「NHKから国民を守る党」への関与など、最近何かと世間を騒がせている宗教団体があります。

「大川隆法」と彼が率いる「幸福の科学」です。

「イタコ芸」と揶揄される「霊言」や、「幸福実現党」の活動など今や「インチキ宗教家」といえばこの人、という風潮です。

また、大川隆法は様々な団体、フィクサーや活動家の支援者という側面も持っています。

先日、N国党の「立花孝志」が「幸福の科学」の信者だと自白しました。

また、「さゆふらっとまうんど」も、「幸福の科学」の信者だと白状した動画をアップしています。しかも、それをアップした後すぐに削除しています。

さゆふらっとと繋がっており、生長の家とズブズブな「朝堂院大覚」も、幸福の科学の信者でした。

「身の丈発言」で炎上した萩生田光一も、「幸福の科学」とは浅からぬ関係にあるようです。

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彼は2014年に「幸福の科学大学」開設の仲介役として動いていました。

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幸福の科学は同年11月、当時の下村博文(はくぶん)文部科学大臣に対し「弁明請求書」を提出した。

注目すべきなのは、この「弁明請求書」の中に、先月9月に文部科学大臣に就任した自民党・衆議院議員の萩生田光一氏の名前が幾度も登場する点だ。

萩生田議員が当時、「幸福の科学大学」開設のために仲介役として奔走していたとされる具体的な記述が複数個所にわたってされているのである。

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結局開設する許可は下りず、今のところ幸福の科学大を卒業しても「大卒」として認められない、といういびつな状況となっています。

しかし、萩生田光一は無理やりにでも認可させて、大学としての体裁を整えようとするつもりでしょう。

このように、様々な方面に手を伸ばし、政治にも深く食い込んでいる「幸福の科学」の大川隆法の正体が、具体的にわかってきました。

今回は、それについて迫ってみます。

大川隆法の父親は「善川三郎(中川忠義)」で、「生長の家」や「GLA」の信者でした。

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父・善川三朗(本名:中川忠義)と母・君子の次男として生まれる。出生名は「隆」。幼少期は、GLAの高橋信次や生長の家に感銘を受けて日本共産党の活動家から転向した父に「聖書」や「無門関」について教えられる

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だとすれば、大川隆法自身も、生長の家の教理に触れていると考えられます。それもあってか、彼は「生長の家」に関する霊言本をいくつか出版しています。

このように生長の家と繋がっている時点で、「幸福の科学」が単なるインチキな悪魔教に過ぎない、と言わざるを得ません。

「幸福の科学」の信仰対象「エル・カンターレ」も、「悪魔ルシファー」そのものです。「エルカンターレ」は「東大寺の大仏」にあたる「大毘盧遮那仏」を指すそうです。

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エル・カンターレ(El Cantare)とは、幸福の科学の本尊である。

(中略)

エル・カンターレは、奈良県の東大寺盧舎那仏像が象徴するところの大毘盧遮那仏を指すという。

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この毘盧遮那仏はゾロアスター教の「アフラマズダー」や「大日如来」と同一視されており、別名を「光明遍照」とも言います。

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毘盧遮那とはサンスクリット語のVairocana「ヴァイローチャナ」の音訳で「光明遍照」(こうみょうへんじょう)を意味する。「毘盧舎那仏」とも表記される。略して盧遮那仏(るしゃなぶつ)、遮那仏(しゃなぶつ)とも表される。

成立の起源を、ゾロアスター教の善の最高神アフラ・マズダーに求める学説がある。仏像では、聖武天皇の発願により造られた東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏、東大寺大仏)が有名。

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ゾロアスター教は悪魔教で、「大日如来」は「天照大神(悪魔アシュトレト)」と同じでした。(詳しくはこちらこちら)つまり、エルカンターレは彼らが名前を変えただけの同じ悪魔に過ぎないわけです。

しかも、別名が「光明」です。ルシファーですね。「光明」の関連項目には、しっかり「ニューソート」「ルシファー」とあります。

また、生長の家の谷口雅春はニューソートを「光明思想」と訳しています。イルミナティも日本語に訳すと「光明会」となるそうです。

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光明(こうみょう)とは、明るい光のこと。闇に対応します。

関連項目
ニューソート
ルシファー

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イルミナティ(独: Illuminaten, 羅: Illuminati)は、現実の歴史上の秘密結社の名称。イルミナーテン、光明会、啓明結社。

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ニューソート(New Thought、新思考)は、19世紀アメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつ、一種の異端的宗教・霊性運動である。

「生長の家」の創設者谷口雅春が光明思想と訳している

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結局のところ、「エルカンターレ」は悪魔ルシファーを指すと言うことです。ですから、「幸福の科学」も悪魔教にほかなりません。

しかし、それだけではありません。実は、「大川隆法」の正体について探りを入れて見ると、トンデモない所に行きつくとわかってきました。

それが他でもない「ユダヤ人」です。

大川隆法は「徳島県」の生まれで、東京大学に合格して上京しています。その後司法試験や国家公務員試験を受けるも、不合格に終わり、「豊田通商」に入社しました。

問題は、その彼の出生地です。「徳島県吉野川市」(旧麻植郡川島町)とありますね。

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1956年7月、徳島県麻植郡川島町(現在の吉野川市)に、畜産コンサルタントであった父・善川三朗(本名:中川忠義)と母・君子の次男として生まれる。

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この「麻植郡」は「忌部氏」の拠点です。この地名は「麻を植える」からとられています。

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阿波忌部

地域:阿波国麻植郡忌部郷

『古語拾遺』では郡名「麻植」は阿波忌部が麻を植えたことによるとする。また後述のように『古語拾遺』には東遷説話が記されている。

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また、「麻植郡」には忌部氏が作ったとされる古墳がいくつかあるそうです。

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ドーム型石室という一定の様式をもっていて県内各地の他の古墳群とは異なる様式分布をしているので徳島県考古学研究グループでは此の古墳の型式を忌部山型石室(いむべやまがたせきしつ)と名づけ、古墳の主を『古事記』や『日本書紀』に見られる阿波忌部氏にあてはめている。

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このように、「麻植郡」は忌部氏とは密接な関係にある土地です。「大川隆法」はそこで生まれているのです。

「忌部氏」は「麻」を皇室に献上する役割を代々担ってきた一族でした。

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阿波忌部氏は祭祀のための木綿や麻を朝廷に納めることを職業としていた一族です。

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忌部氏については、RAPT BLOGでも一度取り上げられています。「後藤田正晴」や元首相の「三木武夫」も、忌部氏の末裔でした。

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この「後藤田正晴」は「忌部氏」の流れを汲む人物であると、ウィキペディアには書かれてあります。
 
後藤田正晴 – Wikipedia

しかも、彼の生まれは「徳島県」なので、「阿波忌部氏」ということになります。

そして、この「阿波忌部氏」は、実は「天皇」の行う「大嘗祭」のために代々、「麻」の着物をつくって献呈してきた氏族なのです。

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いかに忌部氏が神道儀式の重要な部分を担っているのかを伺い知ることができる。 ちなみに元総理大臣の三木武夫氏は、ここの三木一族の人間である。

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「忌部氏」は天皇家に直接着物を献上するほど、イルミナティの核心に近い一族なのです。実際にそこから「三木武夫」や「後藤田正晴」など、有名政治家が輩出されています。

「大川隆法」も「忌部氏」のいた土地の出身となれば、彼も「忌部氏」の末裔ではないか、となってきます。で、この「麻植郡」の歴史について掘り下げて見ると、興味深いことがわかります。

江戸時代に「麻植郡」にあった神社同士で、争いが起こりました。

最初に、山崎忌部神社の神主・村雲勝太夫が阿波藩に「山崎忌部神社が正式な藩公認の神社だ」と主張しました。それに対して「早雲民部」という神官が、自分の神社こそそれにふさわしいと主張して、内紛が起こったのです。

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山崎忌部神社の神主・村雲勝太夫(社常)は阿波藩に山崎忌部神社が正蹟であることを認めてもらうよう動き始める。

山崎忌部神社は当時でも式内社として知られていたようではあるが、長曽我部による破壊などにより由緒の所在が不明となったため、と言う。

同じ頃、当時の川田村多那保神社神主・早雲民部も多那保神社が式内社忌部神社であると主張し、この争いは6年にも及んだ

早雲民部は、元の川田村多那保「権現」の社を京都白川家の許しを得て「種穂忌部神社」と改め、自らも早雲より中川と氏を改めた。

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この争いの後、「多那保神社」の「早雲民部」が、後に姓を「中川」と名乗った、とありますね。

ちょっと待ってください。「大川隆法」の本名は「中川隆」です。

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生誕 中川隆
1956年7月7日(63歳)
徳島県麻植郡川島町(現在の吉野川市)

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同じ「中川」ですね。やはり彼も「忌部氏」の末裔なのでしょう。

大川隆法の出身地「麻植郡」に、「中川」という姓の「忌部氏」の一派がいた訳です。

では、この「忌部氏」とは一体何者なのか。実は、彼らも「李家」と同じく「ユダヤ人」の子孫なのです。(李家とユダヤ人についてはこちら

忌部氏は「レビ人」と同じような祭りを行っていると、同じユダヤ人が主張しています。イスラエルの大使「エリ・コーヘン」は、「磐堺神明神社」を視察した際、「古代イスラエルの礼拝所」とそっくりだと証言しています。

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石を積み上げた東西約二十二メートル、南北約七メートルの長方形をした磐堺(神が降臨する岩石もしくは石を築きめぐらした一定の場所のこと)だ。そこを訪れたコーヘン氏は、これは正に古代イスラエルの礼拝所であると感じたそうである。磐堺は子羊などの燔祭を捧げた祭壇を思わせるという。

七十五人の氏子

そして驚くことに、二千年以上前にこの磐堺を築いたといわれる七十五人の宮人の子孫が、現在でも氏子として磐堺神明神社を守っている。この七十五人の氏子たちは、身を穢さないために、生涯汚れた仕事をしてはならないと決められている。

祭司の付き人

コーヘン氏が徳島の磐堺神明神社を訪れた時には、ユダヤの祭司(コーヘン)の家系であるエリ・コーヘン氏に敬意を表し、代々この神社を守る氏子の祭司にあたるご老人が迎えた。そしてその横には、これまた代々祭司のお付きとして仕える家柄の方が立っていた。コーヘン氏によると、これもユダヤ教と同じだという。

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イスラエル民族は子羊などの動物を神様に捧げていました。その祭壇と磐堺神社が似ていると言うのです。

また、この神社の神官には「宮人」と呼ばれる補助人が付いているそうですね。ユダヤ教においても、「レビ族」から礼拝を司る「祭司」とそれを補佐する「レビ人」が任命されました。

この「宮人」たちは「身を汚してはいけない」そうです。これも「モーセの律法」の中にある「清めの規定」と共通します。

磐境神明神社は「白人神社」の一部となっていますが、この「白人神社」を建立したのが「忌部氏」でした。

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磐境神明神社(いわさかしんめいじんじゃ)は、徳島県美馬市穴吹町口山にある神社。白人神社の奥宮。古神道の磐境と呼ばれる。

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白人神社の祭祀(し)の最も大きな特色の一つが、75人の宮人(みょうど)の存在である。宮人は忌部(いんべ)族の子孫とも言われ、古来、白人神社の祭祀の中心を担ってきた。現在も白人神社の神輿(みこし)かきは宮人に限られている。

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ここに出てくる宮人だけが「神輿」を担げるという風習も、古代イスラエルと全く同じです。

「モーセの律法」の中で、「聖櫃」を運ぶことができるのは「レビ人」だけである、と定められています。「日ユ同祖論」では「聖櫃」と「神輿」が、「神社」と「モーセの幕屋」の構造がほぼ同じだと言われてきました。

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もう一つ決定的な証拠が、「忌部氏」の家紋です。これが「ダビデの星」と同じです。 「大麻比古神社」に伝わるこの紋章は、どう見ても六芒星にしか見えません。

「ダビデの星」はイスラエルの国旗などにも使用されています。

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鳴門市には忌部が麻を植えた故事に由来する大麻山があり、その麓には、徳島県民が崇拝する忌部ゆかりの「大麻比古神社」が祀られている。

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ちなみに、神輿を担ぐときに「わっしょい」と掛け声を発しますが、「ヘブライ語」に訳すと「神が来た」になるそうです。他にも「日本語」と「ヘブライ語」にはかなりの一致が見られるとか。

日本語とヘブライ語の類似性

「李家」が「ユダヤ人」の末裔だとわかった今となっては、その「日ユ同祖論」も全く正しかったとわかります。

「日ユ同祖論」は疑うまでもない事実です。だからといって、日本人が偉いとも悪いとも言えません。

「神道」が悪魔教なのも、彼ら「李家」を始めとしたユダヤ人たちが、ユダヤ教を徹底的に破壊したからでしょうね。

で、大川隆法も自分が「ユダヤ人」の末裔だと自覚している節が見受けられます。彼は「日蓮」や「日興」、そして「イエスキリスト」と霊的に繋がったと自称しています。

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卒業を控えた1981年3月23日に日興・日蓮との間で「霊道」を開き、その後に空海、イエス・キリスト、天之御中主と通信した内容を集めて幸福の科学の初期の霊言集が完成したという

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「日蓮」は「千葉県」の房総半島で生まれています。「安房国」のあたりです。

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日蓮(にちれん、貞応元年(1222年)2月16日 – 弘安5年(1282年)10月13日)は、鎌倉時代の仏教の僧。鎌倉仏教のひとつである日蓮宗(法華宗)の宗祖。

日蓮は、貞応元年(1222年)2月16日、安房国長狭郡東条郷片海(現在の千葉県鴨川市)の漁村で誕生した。

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「忌部氏」の中には良い土地を求めて、東遷した人たちがいました。

その際、彼らが降り立ったのも「房総半島」のあたりです。そのため「安房」という地名は、徳島、つまり「阿波」が由来だとされています。「日蓮」の出身地と一致しています。

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忌部氏遠祖の天富命(天太玉命の孫)は各地の斎部を率いて種々の祭祀具を作っていたが、さらに良い土地を求めようと阿波の斎部を率いて東に赴き、そこに麻(アサ)・穀(カジノキ)を植えたという。

同書では続けて、天富命が植えた麻が良く育ったのでその地を「総国(ふさのくに)」というようになり、また穀の木が育った地を「結城郡」というようになったとし(分注に、麻は「総(ふさ)」の古語とし、また上総国・下総国の2国がこれにあたるとする)、阿波斎部が移住した地は「安房郡」と名付けられたとする(分注に、これが安房国の国名になったとする)。

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実際に、「安房神社」が房総半島には現存しており、「忌部氏」が創建したと伝えられています。

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安房神社(あわじんじゃ)は、千葉県館山市大神宮にある神社。

伝承では、神話時代に阿波地方(現在の徳島県)から渡ってきた忌部氏(いんべうじ、斎部氏)による創建といい、「安房」の国名・社名はこの阿波忌部の移住・開拓から起こった

また、社宝のうちで八稜鏡・円鏡などの文化財を伝世するほか、阿波忌部の開拓に因んだ祭礼が現在まで続けられている。

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彼も「忌部氏」だとすれば、どうして大川隆法が「イエスキリスト」や日蓮と霊的に繋がったと自称しているのか、その理由もはっきりします。

「大川隆法」も「日蓮」も忌部氏、つまり「ユダヤ人の末裔」なのでしょう。だからこそ、表面的に見れば同じユダヤ人にあたる「キリスト」のことも崇めている訳です。

しかし、大川隆法や日蓮が拝んでいたのは「悪魔」だった、というオチです。

イルミナティは「神様」と「悪魔」を同時に拝むような奴らですが、「幸福の科学」もまさにそれと同じことをやってのけている訳です。

そんな悪魔崇拝者の大川隆法は、「ノストラダムス戦慄の予言」というインチキ本で、「李家の復権」を思わせるような予言をしています。

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『ノストラダムス戦慄の啓示』(ノストラダムスせんりつのけいじ)は、幸福の科学主宰(当時。のち総裁)の大川隆法の著書。幸福の科学出版から1991年に刊行された。

日本を主題に据え、安保、大東亜共栄圏などの明瞭な固有名詞や明確な時期指定を織り交ぜ、日本の軍国主義化が語られる。

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大東亜共栄圏は大日本帝国のスローガンです。他にも「日本の軍国主義化」など、物騒なワードが並んでいます。

「軍国主義」、「大東亜共栄圏」。「大日本帝国」を象徴するような用語ですね。

つまり、ここで大川隆法は「大日本帝国」や「明治憲法」の復活を明確に謳っているというのです。

明治憲法で保障されていた「李家」の身分は、第二次世界大戦での敗北によってはく奪されました。(詳しくはこちら

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李王家(りおうけ、이왕가、イワンガ)は、李氏朝鮮の歴代国王を出した家系。韓国併合後は日本の王公族となり、皇族に準じる待遇を受けたが第二次世界大戦後の日本国憲法施行に伴い、その身分を失った(身位喪失)。

1910年(明治43年)、韓国併合ニ関スル条約により韓国併合された後、同条約に基づき、韓国皇帝(純宗)、太皇帝(高宗)、皇后(尹氏)、皇太子(垠)の4名が「王族」に、李堈とその妃、李熹とその妃が「公族」となった。それぞれ、男子によって継承された。

1946年(昭和21年)11月3日の日本国憲法の公布後、翌1947年(昭和22年)5月2日の皇室令及附屬法令廢止ノ件、5月3日の日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律(昭和22年法律第72号)によって身位を喪失した。

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「李家」の身分が復活した場合、同じ「ユダヤ人」の末裔である大川隆法の権力も、自動的に向上する可能性があります。

非常にお気の毒ではありますが、「幸福の科学」の平信者の皆さんは、「大川隆法の保身」に利用されている訳です。完全に人生を無駄にしています。

結局は神様に反逆した「ユダヤ人」たちが、必死でカルトを作り、工作をして自分たちの利権を守ろうとした、ということです。

もっとも、この情報が広まらなくても、幸福の科学は衰退していく一方でしょう。父親と息子が争ったり、教祖のスキャンダルが次々と報じられるような宗教団体になど、信者たちは愛想をつかすしかありません。

全能神教会や生長の家、統一教会などと同様に、崩壊の憂き目に遭うでしょうね。

今回の記事も、RAPT BLOG有料記事と「KAWATAとNANAのRAPT理論」を参考にさせていただきました。当該ページへはリンクをクリックしていただければご覧になれます。

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